夜水引と水の番の思い出
             大橋洋子

子供の頃(昭和30年代)夜水引-ヨミズヒキというのがあり、祖父は晩飯を食べ終えると毎晩夜水引に出掛けました。田んぼが最も水を必要とする時期になると毎年水不足が起こり、村中が自分の田んぼに水を溜めるのに必死でした。

 特に、下っぱら(地名)方面は、もともと地滑りしやすく水持ちの悪い場所のうえ、水源地まで1q以上はあろうと思われる水路の末端にありましたから水不足はとても深刻でした。私の知る限りでは、水争いという大事には至らなくても、水の奪い合いは日常茶飯事といった感じで行われていました。
 用水路も今のように、コンクリートのU字講などなかった時代ですから地面に吸収される水の量も大きかったのではないかと思います。
 水源から末端までの道中にある田んぼに引かれて細くなった水を「下っぱら」ではさらに細々と分け合っていました。
 夜水引は祖父の仕事でしたが、日中は子供の私も水の番をさせられるので時々見まわりに行くのですが、現場を離れるとその間に止っているか、スズメの涙か糸のように細くなっているので「大人ってずるいなぁ」と真から思ったものでした。
 後に聞いた話によると、用水路の水の奪い合いにまつわる話は水路の上流でも下流でも色々あったようです。
 また、当時は嘘かほんとか峠の道に提灯がぞろぞろ並んでいるのを見たとか、キツネに化かされて道を迷ったとかいう話も聞かれましたが、今となっては子供の頃に聞いた懐かしい昔話として心の隅っこに残っています。
 かつて峠の道は塩の道とも言われ、柏崎へ行く生活の道路でした。先人が歩いた峠の道を守り継いだ世代が消え失せようとしている今日、峠の「草なぎ」や用水路の「イマルはらい(手入れ)」など、毎年恒例の村の共同作業が懐かしく想い出されます。
                   (福島県在住)