お講の思い出
                           田辺雄司
 昔は、1年に2回、お盆過ぎと春2月の末に寺から本坊と伴僧、それに近隣の寺からから2人の坊さんが来るのでした。4人もの坊さんを迎えることは大変なことでした。
 その頃は未だ電灯もない頃で母親や祖母はランプやカンテラの明かりで炊事や接待をしなくてはなりません。2、3日まえから、土蔵の大箱からフトンをだして天気のよい日に干したり、漆塗りの客膳を土蔵から運んだり、デイ〔客間〕から便所まで念入りに掃除をしたりしました。
2月下旬の頃の居谷集落
 
夏はフトンなどは少しで良いのですが冬のフトンは大変でした。雪の中土蔵から運ぶことからして容易ではありません。
 当日、夕食が終わるとホラ貝を何回も吹いてお講の始まりを村人達に知らせるのでした。するとまもなく年寄り達が「お晩なりました」と挨拶をして大勢集まってくるのでした。やがて、坊さん達が着替えてデーの床の間に御本尊の掛け軸を下げると伴僧が鐘を叩きお経が始まりました。
 この夜だけは家中が何処へ行っても明るく、馬屋の馬もキョトンとして驚いている様子でした。
 一番位の高い僧は厚い座布団のを敷き、他の坊さんは普通の座布団に座り掛け軸に向かってお経を読んだり、仏壇の方に向いてお経を読んだりした後、一休みのお茶を飲んだあと、まず始めに一番位の高い坊さんが座布団を2枚重ねた上に座って説教をするのでした。すべての坊さんの説教が終わると、お参りに来た人全員でお茶を飲み賑やかな会話が夜遅くまで続くのでした。
 お寺さんは、翌日、朝から檀家をお経を読みにまわり、夕方にはもう一軒の講宿に行き夜、お講をして、次の日に何人かの人がお坊さんの荷物を背負って隣村まで送っていくのでした。2月下旬は雪は降り止む頃でしたが真冬のような吹雪の日もありました。冬は男衆は出稼ぎで留守なので女衆が4人ほどで送っていくのでした。供え物などを持ち帰るため坊さんの荷物はだんだん重くなり最後の隣の村では車道が不通となる冬は駄賃取りを頼んで運んだと聞いています。
 また、当時は、小さな御本尊の掛け軸を入れた箱を1ヶ月に一度輪番で回してお講を行う行事がありました。そのときは隣村の坊さんから来てもらい、夕食の後で村中の年寄りから集まってもらってお坊さんの説教を聞いた後お茶飲みをするのでした。その時のお講では、村の親類を招いて坊さんと一緒に食事をして酒をのんだりしたものでした。
 そのときの大釜のご飯のお焦げに塩をつけて握ってもらったおにぎりの美味しかったことは今も忘れられない思い出です。