昭和の初めの居谷の正月
                             
 正月の行事は各集落によって多少異なることもあったと思うが居谷集落では次の通りであった。
 元日は集落内の年始回り、2日が仕事始めで午前に少し藁仕事をし午後は休み、3日は三が日の最後の休み。4日は朝から仕事。5日は午前中は仕事をして午後は休み。6日は朝から仕事。7日は七草で午前は仕事をして午後は休んだ。
冬の居谷集落(2004撮影)
 その後、8、9、10日の3日間は仕事。11日は十一日正月で大正月の終わりであり、仏壇や神棚からお供え餅を下げて焼いて食べた。この日は午前は仕事をして午後は休んだ。
 12〜14日は仕事をした。仕事といってもたいていの年は雪堀であった。
 明けて、小正月の15日の朝は未だ暗いうちに神社へ行って本尊を雪の中から掘り出し参道の道つけをしてから、(昔から神社の雪堀は御利益があると伝えられ競って早くでかけた。朝の2時頃に行った人もいたと伝えられる)自分の道つけや玄関先の雪かたづけをした。
 そして、午前は、前日についた餅を切ったりソバを作ったりした。昼は、家族全員風呂に入って、大正月と同様の祝い膳に向かった。食事がすむと家族全員で神社に行って一年の無事と平安を祈った。16、17日まで小正月。18、19日は仕事をして20日は二十日正月とも呼び、正月納めで最後の正月をゆっくりと休んだ。
 そして、その後は毎日、藁仕事や雪堀りなどの仕事を夜なべまでして精を出した。
 昔は月遅れの正月なので二十日正月は2月20日であり「正月が終われば、春だのう」という挨拶がよく交わされた。確かにこの頃になると雪虫が出て、高い山のネズミザクラ(ヒロバマンサク)のつぼみがほころぶ頃だった。

田辺雄司  (石黒在住)