宝引き
宝引きは、たいそう昔から伝わって来た遊びのようです。おそらく江戸時代から行われてきたものだと思います。
私たちが子供の頃も、大人にとって正月の唯一の楽しみで時間の過ぎるのも忘れて宝引きに興じたようでした。親に連れられて行って初めて見たときには何があんなに面白いのかと不思議でした。
小正月のお宮参りの帰りには毎年、宝引き宿の家に寄り集まって宝引きをやっていました。
私も昭和30年頃から家に入り農業を引き継いでやることになりました。その頃になると農業の機械化も大分進み、だんだん農作業も楽になってきました。月遅れの正月も取りやめとなり、テレビも普及しましたが、やはり宝引きは残っていました。
宝引きのヒモは約60p位の長さの黒い綿糸を10本ほどで撚っもので目印がつけられるような所は絶対ないように6本を皆同じように作ったものでした。
最初にじゃんけんで親を決めて6本のヒモの1本に昔は大根を小さく切ったものをつけていました。(その後、五円玉30〜40個穴にヒモを通して輪にしたものたものをつけるようになりました)。
そして、6本のヒモを少し撚るようにして先を5人の前に並べます。そのヒモを5人は選んで取るのですが、取るとき座興的な言葉で座を賑やかしみんなの笑いを誘い大笑いするのでした。
たとえば1本のヒモをいったん選んだ後、他のヒモに選び変えるときには「おら、ケェ食った」と言いながら最初にとってヒモを投げ出して他のヒモを取るのでした。また、他人の取ったヒモに宝がついていると思うと、「おら、ばった(負ぶさる・一緒)」言って自分もそのヒモを取ったりしました。
最後に、親は残ったヒモを取り、親が2度宝を引いたときには「もがった」といって1円玉を2ヶもらうのでした。
最初に1円玉を6人に20ヶ位ずつ分けておき、終わったときに1円玉の数によって精算するのでした。私のころには1円玉1ヶ5円で計算していましたのたので3時間もやって負けてもせいぜい2、30円位なものでした。
宝引きが終わると宿の人が「めんなが、賑やかにあそんだすけ腹がへったろうえ」といって粉餅を炉裏りであぶり漬け物と茶を出して、そこでまた賑やかにおしゃべりをして楽しんでいました。そして、帰りには、「今日は本当に面白かったすけ、また明日も寄せてくんなせぇ」と言って、宿賃として100円か200円おいてくるのでした。
一度、隣村で、警察に宝引きは賭博であり犯罪であると厳しく注意されて一時中止となったこともあったでした。
しかし、その村の村長さんが警察に出向いて「これは村に昔から伝わる正月遊びであり、断じて金儲けなどのためにやるのではない。大人の正月のささやかな遊びであり、村の人間同士のつながりにも大切なものだ。」と堂々と主張して警察を説得されたのことでした。それで、またみんなが安心して宝引きを楽しみ、それがテレビで放映されたこともありました。
宝引きは今も多くの集落で、雪深い長い冬の遊びとして楽しまれています。
田辺雄司
|