11日正月
                            
 当時(昭和27年頃まで)の頃は月遅れの正月でした。大正月にはたいていの家では、お供え餅(二つ重ね)を5組作り、神棚、仏壇、床の間、土蔵に供えるのでした。(餅つきは暮れの28日でした)
 それを11日正月の大正月の終わりの日に下ろすのが習慣でした。お供え餅は10日もたっているので、どれもヒビだらけで中にはヒビの中に青カビが生えているものもありました。
 土蔵に供えたお供え餅はネズミにかじられて食べるところは少ないほどになっていましたが親たちはネズミのかじった部分を包丁で上手に取り去り水に漬けておいて翌日の12日の朝、雑炊に入れて食べたものでした。
11日の蔵開きには、祖父が蔵の鍵を持って行き、両手を合わせて拝んでからお供え餅を下ろし、三重の戸を開けるのでした。祖父は土蔵の鍵を滅多に他の人には持たせませんでした。
 また、家によっては、正月には粉餅などがあるので、お供え餅は小さく砕いてかごに入れて天井につるして保存しておいて夏の昼寝おきに囲炉裏の灰の中で焼いて茶請けに食べたとのことです。元旦に神社にあげたお供え餅は、歯が良くなるとか怪我をしない、病気にならないなどと伝えられたことと同様に、家の神仏に供えた餅も家族を守る御利益があると信じられていたのだと思います。
 
 11日正月が終わると「キビ醤油」と呼ぶものを自家で作り餅につけたりご飯のおかずにしたりして食べたものでした。
 このキビ醤油は囲炉裏で炒り鍋をかけてキビをカラカラと炒り、石臼でで粗挽きして適当に水をいれて柔らかくなるまで煮たものをさまします。それから少し塩を加えてから、かための甘酒を作って加えて一週間もすれば食べられました。これを「甘醤油」とも呼んでいました。
とてもおいしいものだったことを憶えています。

田辺雄司 (石黒在住)