釈 迦 堂
 
 案内板には次のように記されている。

 釈迦堂は、天保3年(1832)に創建された浄土寺の末庵である。
 この庵は、良寛と親交の深かった貞心尼が住んでいたことで知られている。
 文政13年(1830)、良寛危篤との知らせを受けた貞心は、献身的な看病をするが直後の天保2年(1831)正月6日、良寛は帰らぬ人となった。
 貞心尼はその後ここ釈迦堂の庵主となり、晩年は近くにある不求庵(ふぐうあん₋市内西本町一丁目)で過ごした。そして、明治5年(1872)、弟子の幸順尼、智譲尼に看取られ75歳の生涯を閉じた。
 昭和14年に浄土寺をを離れた釈迦堂は、禅宗の庵寺となり、昭和54年11月には、道路拡張のため壊され、現在は、その跡を残すのみとなっている。
 当初、釈迦堂には、貞心尼が秘蔵していた遍澄作「良寛の画像」があった。(市指定文化財絵画釈迦堂良寛の画像)この像は、良寛の野遊姿を描いたものであり、良寛像中最も良く似ていると言われているが、道路拡張の時に市内東本町一丁目にある常福寺に移された。