備 考
表題のとおり、これは天和三年の石黒村の検地水帳(一部分)である。元帳は田辺重順家文書にあるが、その写しは寄合、落合等の各集落の組頭などにより書き写され現在も残っている。本文は寄合集落の矢澤繁徳家の文書である。
本HP「カラムシ街道市の名前の由来について」で引用した「越佐郷村の古文書」には、「石黒の内落合村大橋範顕が筆写したもの」とある。この引用部分は上記の朱色文字の文である。「白布高三石六升・・・・」から、僅か二十六軒の村で白布高が三石六升であることに着目したものであろう。
また、上記水帳には、石黒村の青苧高は29戸で三石九斗三升とある。
ちなみに、桑山省吾氏の「南鯖石百姓衆の生活」によれば同じ天和検地での青苧高は石曽根(122戸)一石四升三合、山室(記録なし)一石六斗三升三合、大沢(55戸)が三石六斗四升七合である。
読み下し・備考文責 編集会大橋寿一郎 |
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反町茂雄文書Ⅱ 越佐郷村の古文書 |
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