御検見諸入用 割賦帳
 
    天保十四年
郡中割大図
            割賦帳
  御検見諸入用 

         卯十月            岡野町村控
 
 


 御検見入用
一 金百疋  佐藤
これは御仮免状御渡し御廻
状惣代にては相済まさざる旨
仰せ出に付き御内伺い入用

一 永二貫二百十六文五分
これは両郡割り付け帳□□□
一 金十両   佐藤作
一 金二両   曽根様
一 金三分   御用人三人
一 金一分   曽根様 
         こもの
一 金二分   御足軽二人 
 
 此の掛高二千八十八石六斗七升九合
一 永二十貫文 郡中大図


 但し 高百石に付き
    永九百五十七文六歩
掛高八百五十石二斗三升一合 山室村
        八分一厘

掛高三百三十七石四斗一升九合
一永三貫二百三十一文 大沢村
       一分二厘

掛高二百十一石八斗八升二合 高尾村
         九分八厘

掛高百五十五石九斗九升一合 山中村
        九分七厘
 
 一〃二両   曽根様
一〃三分   御用人三人
一〃一分   曽根様
       小もの
一〃二分   御足軽二人
一〃一分   御仲間二人
一〃一分   浅七
一〃一分   嘉七
一〃一両二分 大越様
一〃一分   宿 
       茶代

〆て金十七両
外に二朱   子供下女
  一分   藤右衛門への利息
一永二貫二十六文五分
       右鯖石分
 
 合 金十九両二分二朱

一国役銀二十九匁九分


右の通り私共立会い
割合仕り候処相違
御座無く候 以上

卯十月  山室村 丈之助
     大沢村 藤四郎
    岡野町村 藤右衛門
       組頭友左衛門
     高尾村 仁左衛門
     山中村 徳兵衛  
 備    考
 「山中村庄屋文書解読参照資料」(筆者編)の天保14年欄には「郡中割賦-計5冊」が見られる。
 本文書はこの郡中割賦帳を作成するための大図と検見の費用を山室、大沢、岡野町、高尾、山中の5
村の分担の明細を記したものである。
 但し、実際に記載の数値に当たってみると明細と合計が一致しないのは、岡野町分が記載されていないためである。本文書が岡野町村の控えであることから自村の項目は省略したものと見える。
 さて、この文書から読み取りたいと思ったことは、一見、合理的で農民には有利に思われる検見法であったが実際には定免法の方がより多く受け入れられた訳についてである。
 つまり、農民にとって検見に当たって役人の応対の苦労とそれに伴う出費などがあったことが大きな原因の一つであったであろうと想われたからである。
 果たして、本書に記された諸費用の合計は二十両近い金額である。足軽、子ども下女までにお金を与えている。おそらく、村に役人が検見にやって来るとなると、この他に、道路修理から宿舎や饗応の準備など現代では計り知れない苦労があったことは想像できる。その上、検見が済むまで刈り取りができないなどの不便性もあった。

 時代は大いに下ってからだが、筆者が子どもの頃、昭和20年(1945)代に、秋の米の収穫が終わり供出米の出荷を控えたころに米の検査員が村々を回った。それを迎える戦々恐々とでも言いたい村人たちの様子と検査員の横柄な態度を忘れることはできない。
 饗応の場となった筆者の家の座敷で床柱を背にふんぞり返って酒を飲み、果ては芸者まで要求した赤ら顔の検査員の姿を今も忘れることが出来ない。
 近世から昭和前期まで生き残った悪しき慣習とでも言おうか。いや、法の規制なくしては何時の時代にも発生蔓延する人間社会のごく自然な成り行きとも言えよう。
         
     (文責 編集会 大橋寿一郎