焚きもの拾いの思い出

                   大 橋 洋 子

昭和20年代後半から30年代の私達が子供の頃は、学校の教室の暖房は薪ストーブでした。
 晩秋になると冬場に備えて、全校生徒がスギの葉っぱやボイ(枯れ枝)などを拾いに山の林へ出掛けました。
 子供達にとって焚き物拾いは解放感があり、仕事と言うよりは遊び感覚で、出発前に校庭で聞く先生の話もワクワクしながら聞いていました。

 当日はツナギ(両手に軽く握った藁の穂先を結んだもの)を各自が四本ずつ持って登校しました。主に杉の葉やボイは焚き付け用の燃料でしたが、拾い集めた杉っぱを器用にまとめてツナギで二か所を縛りました。
 また、小枝を結わえたり、背負い紐にする縄も、前もって柔らかくたたいた藁を持ち寄って、みんなが体育館で縄をないました。こうして秋の晴れた日にツナギや縄紐を持って山へ出掛け、半日林の中を歩き回りながら、多量に落ちていると「ねら、こっちへいっぺぇおってるすけ来てみれ!」などと教え合いながらせっせせっせと拾い集めました。帰りは自分が拾ったスギナヤボイを縄紐で背負いながら、男子や力のある人はさらに一把担いだりして汗を拭きふきお昼までには学校へ戻りました。焚き木拾いは大変ながらも楽しい作業でした。そして帰ってから食べたお昼のお弁当の美味しかった事が想い出され、当時の情景が今でも眼に浮かびます。
 又、その頃の薪ストーブはドラム缶のような形をしていました。ストーブ当番は日替わりで日直当番の仕事でしたが、最終的に上級生が見廻りに来て、翌日の燃料の薪などを配っていきました。薪も三人一組で、家からノコギリを持ち寄り短く半分に切って焚きました。それからストーブの上には常にヤカンが乗っていましたが、お昼間際になると時間を見計らって皆がお弁当を上げて温めました。数が多い時はストーブの脇に机を置いてその上にお弁当を乗せ、重ね変えたりひっくり返しながら程良く温まって来ると匂いが教室に漂いました。
 やがて薪ストーブは石炭ストーブに変わりました。時代とは言え、今や与えられる事に慣れ過ぎ、便利な一方で本当の喜びや有難さが味わえないのではないかとさえ思ったりします。

(福島県在住)