松之山街道の歴史は古く、建武4年(1337)当時の古文書にも記載が見られるという。
しかし、この街道が関東へ通じる道として、より重要さを増したのは、上杉謙信とその跡を継いだ景勝の時代に軍用道路として使われた時代である。
その後、徳川時代にも高田藩主松平光長の時代まで、街道の整備と宿場制度が着々と整えられてきた。犬伏、松代、蒲生村は宿駅村に指定され、松代には陣屋(代官所)も設置されていた。
また、この頃になると、ようやく一般庶民もこの街道を使って旅に出かけるようになった。
松之山街道は高田城下で北国街道から分かれて十日町を経由して塩沢で三国街道に接合するが、地元では松之山街道を「三国街道」と呼ぶ。
ちなみに、松代から高柳を経て柏崎に至る道も「松之山街道」と呼び、石黒から地蔵峠を越えて柏崎に至る道を「脇街道」などと呼んでいるが、混乱を避けるためには前者を「俗称松之山街道」、後者を「俗称松之山街道脇街道」とでも呼べきであろうか。
もともとこうした街道の呼び名はその地の住民によって便宜上つけられたものであろうから。
文責 編集会 参考文献 松之山町史他