意訳文
恐れながら書付を以って願い奉り候
石黒村庄屋は例年来、女谷村庄屋友左衛門の兼帯庄屋であり、石黒村は組頭への庄屋友左衛門の指図により年貢係りは諸役銀や出金まで取り立ててきました。しかし、元になる割合は何々で如何程という基準も示さず不法な取立てのため、村全体が負担を納める事はとても出来かねますので左記とおりお願い申し上げます。
当村は十ヵ年、御定免地にしていただいていることは庄屋友左衛門から聞かされるまで〔本来年貢率いくらと聞かされるところ〕百姓は勿論、組頭どもまで何も知らないまま年貢を納めてきました。つきましては割付状どおり百姓めいめいに明白に分るように御割当て下さいますようお願い申し上げます。
、年貢三分の一金納のこと年内のうちに価格お決めくださるとのことでありますが、私ども村人は兼帯庄屋友左衛門組は他の四ヶ村共、暫定的価格をもって取り立てられてきました。そのため年々金一両につき米7〜8斗より4〜5斗までの高い価格で決済してきました。でありますので、年々三分の一金納で収めさせられた分、決められた値段を基に差し引きして過納分を返金するように申し付けていただきたくお願い申し上げます。
付記、去年寅年三分の一金納の価格は一両につき1石8斗余に仰せ付けられとのことでありますが、仮値の1石4斗換算で友左衛門方へ収めた私どもの4斗1升余の過納分は返してくれるように仰せ付けてくださいますようお願い申し上げます。このことで先だって友左衛門方へ申し入れましたところ近々清算すると申しましたが今もって清算せず迷惑いたしております。
年貢の内三分の二米納も「願石代」で金納するように仰せ付けられた分については、三分の一の値段を基準に多少納めるとのことですが、私ども村々はそもそも願石代とは何なのかを存じていないのであります。しかし、1、2年以前、才蔵という者が引き受け、度々の申請があったということで近隣の村に問い合わせたところ御慈悲をもって願石代で納税していたことがわかりました。つきましては願石代でお値段と郷蔵〔数カ村分の年貢米を蓄える蔵〕から町への売り払い値段を概算してみましたところ金10両につき年々、多分に手加減があるように思われますのでお値段と相場とを差し引きして百姓に過納金の分を残らず庄屋より返金するようお願い申上げます。
付記 この夏の払い米は百姓方へ引き取った値段でお納めいたします。しかしながら友左衛門が通告してきた数量をもってお納めすれば過不足もあることと思われます。
一、 御口米、六尺給、御伝馬宿の入用米の分についてですが、お口米の値段と六尺給、御伝馬宿お値段とは違いがあるとは思います。しかし、お値段のことは差別なく米でも金でも〔両方ともの意味〕取り立てられましたように記憶しております。そうであれば二重にお納めしたわけで難儀をしておりますのでこれまた金納であろうと米納であろうともどちらか一方で取り立てるよう仰せ付けてくださいますようお願い申上げます。
付記 〔お上からは〕いずれ一方に仰せ付けられておりましたとすると、一方は庄屋友左衛門方に年々過納してきたことになりますから米でも金でもよいですので百姓方へ返すようお願い申上げます。
一、小物成、臨時物〔本年貢外の年貢〕の納入については何々を以って小物成というのか、村高一石につき如何程と定率なものなのか存じません。友左衛門の言ってくる通りに済ましてきました。これらの事についても過不足を決済するようお願い申上げます。
一、付加税も刈羽郡近村々と比べてみますと大分多く取り立てられているように思いますので、大概、近村々をお調べくださって相応に渡し、余ったものは概算にても返すようお願い申上げます。
付記 年々納めましたものは、過納ばかりであったように記憶しておりますので過納金の分を返すようにしていただきたく思います。
一、去年の願石代米の願いを才蔵と申す者に引き受け願うために友左衛門が郡中惣代として江戸表へ行きました折の雑用等は、郡中より出すことが筋かと存じますところ、女谷五ケ村より永楽銭四拾貫文ほど取り立てられ迷惑しております。私たちの蔵組に限ったことではないと存じますので右五カ村より支払いました金額のうち石黒村より出しました分の金6、7両余りは返すようにおおせ付けくださいますようお願い申上げます。
一、右にあげました多くの勝手し放題に取立てられましたことに付き、此の上は兼帯庄屋友左衛門を頼ることは出来ません。よって石黒村へ庄屋を分離してもらい是迄勤めてきました組頭十五郎、与右衛門の二人で、一ヵ年交代に決めて庄屋を勤めるようお願い申上げます。
そうしていただけるなら年貢割付状の皆済証文をもって百姓全員皆で割り当てて上納する等、そのほか諸出費を減らし相続いたしたく思いますので友左衛門兼帯庄屋より分離し当村の右二人に庄屋役仰せ付け頂き、御水帳、諸帳簿ともお渡しくださいますようお願い申上げます。
右の趣、春より度々友左衛門方へ行き、諸勘定の説明をしてくれるように求め庄屋役の事も当村へ引き取り勤めさせたく思いますが全く聞き入れません。それで再び、当7月28日に村中で友左衛門宅へ行き諸勘定の説明と庄屋役も引き渡すように頼みましたが返答の有無については御役所にてお答えするので右の趣はお願い差し上げる旨申しましたので是非も無くこのたびお願い申上げる次第です。よって一つ一つお聞きくださって兼帯庄屋友左衛門を呼び出しお調べの上、お願いしましたとおり仰せ付けてくださいますようお願い申し上げます。
最早、全百姓は困窮の極みに達し、大神宮様の御祓いを頂いて惣百姓一同お願い申上げますので御慈悲をもって御吟味ください。そして石黒村で庄屋を相続できますように仰せ付け下さいますなら有り難く存知奉ります。 以上
恐れながら書付を持って願い奉り候
刈羽郡石黒村庄屋役のことでありますが、先年より女谷村庄屋友左衛門兼帯組でありましたが当村から女谷までの道程は、3里〔12km〕ほどあり黒姫山の地蔵峠や小岩峠越えは冬の深い雪の中などは歩くこともままならず難渋しております。そんなわけで御年貢米金やもろもろの役銀を百姓より取立てたり、その他村中での相談等に至るまでままならず取締り等々よろしくありません。そんなわけで石黒村に庄屋役を設け御年貢米金や御役銀やもろもろの配分も村内へ引取り諸勘定を致したいと存じ、今まで勤めて来ました組頭与右衛門十五郎両人にて一ヵ年替わりに勤めさせたく百姓一同お願い申上げます。つきましては、兼帯庄屋友左衛門庄屋役の事お取上げくださって、右両人に庄屋仰せ付けられ諸帳面共間違いなく引渡されるようお願いいたします。御慈悲を以って友左衛門を召し出され右お願い申上げましたとおり仰せ付けくだされれば全百姓有り難く存じます。
以上
(意訳文責・大橋寿一郎)
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