(農)石黒の設立経過

 

1 前身の南部生産組合の設立

   平成8年、石黒地区の農業の将来について、地区民をあげての協議がありました。アンケートをとるなどして検討を重ねた結果、ライスセンター(米の乾燥調整施設)を建設しようということになりました。ライスセンターの運営には、当時50代だった大橋伊勢治さんをはじめ、中村昭雄さん、中村正和さん、大橋伊寿さん、中村勝善さんの5人が組織を作り、運営にあたることになりました。ただ、それまでには紆余曲折がいろいろとあり、ライスセンター運営の話があったとき、「とても引き受けられない」と農協の組合長のところに断りにいったところ、逆に「何いってるんだ、おまえさん方しかいないんだ!」と説得されて、断るつもりが檄を飛ばされて、引受けて帰ってきたそうです。当時は大変なことを引き受けてしまったなあと思ったそうですが、時代の流れは、間違っていなかったんだなあと当時のことを思うそうです。

   平成9年10月22日、関係者を招待し、竣功祝いが行われました。敷地面積449.8u、建物面積226.0u、乾燥機(28石)5台で30町歩規模のライスセンターが完成しました。

   平成10年より活動を開始、米の乾燥・調整をはじめ、春の田ぶちから稲刈までの作業受託も行うようになりました。ほ場の条件は高柳のなかでも厳しい石黒ですが、トラクター、コンバインといった機械を先導的に導入し、機械化による経営面積の拡大を先駆けて行ったのは、南部生産組合でした。

 

2 直接支払制度の始まり

   平成12年度より国が「中山間地域等直接支払制度」を作りました。これは、日本版デカップリング政策(農業従事者に対する直接所得補償などを中心とする政策であり、毎年の農産物の市場価格や生産量等との関係が切り離されて行われる)として中山間地と平場との生産コスト(の80%)を交付金として農家へ支払うものです。ただし、農業は道普請、堰普請のほか、集落としての集合体があってこそ営まれてきたことを重視し、支払われた交付金の半分は、持ち寄って集落の活動に充ててくださいというお願いが国から出されました。(強制ではなく、集落の話し合いでその割合を決めてくださいというものです。)

   石黒では、7集落がひとつになって、「石黒集落協定」として、直接支払制度(交付金)を受けることとしました。

 

3 第2期直接支払

   直接支払制度は5年ひと区切りの制度であり、5年ごとに見直しがされます。第1期(H12H16)から第2期(H17H21)への移行に際し、制度の見直し(要件の強化)が行われ、農作業の共同化、組織化を進めることが要件にプラスされました。国の施策においても、担い手への集積(大規模農家育成)、集落営農(集落ぐるみ型農業)といった農家の減少を効率化や集約化で補う方向が打ち出されていました。

   石黒においても、第2期直接支払の要件を満たすべく、話し合いが重ねられてきました。が、非効率な山の田んぼで農業だけで生計を立てていくことの難しさ、個の頑張り(あの人があれだけやるんだったらおれはもっとやる、といったようなお互いが切磋琢磨、よい意味での競争をしながら田んぼを増やし、良食味生産を続けてきた百姓根性)でいままでなんとか続けてきたことを考えると、急に方向転換を強要されるに近い話しに頷くことができないのは、当然のことだと思います。ただ、石黒のみなさんも、今のままでは石黒の農業がいつか途切れてしまう、荒地がますます増えていくという危機感と、農作業の共同化、組織化が時代の流れなのだということを頭では理解しておられました。ただ、それを実行に移すには、自分のこれまで築き上げてきたものをある程度犠牲にしなければならない、それと年齢的な問題(60を越え、自分はあと何年農業ができるか)も重なり、踏み出すところまではいかない状況であったと思います。ただ、当時、下石黒区長だった故関矢政一さんが、石黒の将来を案じ、組織化(法人化)の必要性をことあるごとにはなしをされ、石黒の方も理解を示し始めた矢先、急に亡くなられたことは、非常に残念でありました。

 

4 中越大震災復興基金事業と法人化

   中越大震災復興基金事業は、被災した地域の復興を図るため、基金を造成し、生活、商工業、農林業などの再建や集落の再構築といった多分野に支援をする制度です。高柳は、大きな被害は幸いにもありませんでしたが、農地や農道等の被害はあり、基金事業の該当地区になっていました。そのメニューのひとつに、農業生産体制の整備(農業施設、機械への補助)がありましたが、要件のひとつに、地震を契機(地震より後)に新たに設立された組織であることという要件がありました。ですので、従来の南部生産組合では、補助対象組織とはならず、制度を利用するには、新たな組織を作る必要がありました。それも任意(法人格を持たない)組織ではダメで、法人ならばOKとの行政から指導がありました。それまでの、話し合いのなかで、南部生産組合の5人のメンバーにプラス大橋幸夫さん、小野島弘さんという若手が加わり、活動をしていこうというところまでは、みなさん了解済みでしたが、その活動は緩やかな共同体というか、それぞれの農業活動を優先し、徐々に共同の部分を拡大、ゆくゆくは法人化も検討していこうというものでした。それが、すぐに法人化しなければ補助制度は受けられないということになり、みなさんが、相当悩み、不安を感じたと思います。しかし、最終的に法人化という結論に達したことは、それまでの話し合いの蓄積と、7名の方の石黒を想う気持ち、石黒農業を支え、次に繋げていくのは自分たちだという強い自負があったからこそであり、その決断には心からの敬意と頭が下がる思いです。

   そんなことで、出発した(農)石黒ですが、法人経営や経理などわからないことばかりですので、毎月1回は集まって勉強会をしようということで集まっています。秋の収穫が終われば、いよいよ法人として初めての決算が待っていますが、心配なところもあります。

 

5 法人としての役割

   (農)石黒は、構成員7名の安定的農業活動の継続はもちろんのこと、石黒農業の継続、先祖からの受け継いだ農地を次世代に引き継ぐという大きな使命があります。ですので、新たに構成員として仲間になってくれた大橋幸夫さん(54)と小野島弘さん(40)は従来の南部生産組合員5人の希望であり、バトンを渡す人ができたという心の支えとなっています。また、法人となったメリットは「会社として人を雇う(ことができる)」という点にあり、このことは、より幅広く人材を呼び込めることに繋がります。まだまだ、構成員7名が力の限り、農業に打ち込みますが、それと同時に、その技術を次へ引き継いでいくことも法人の役割だと思っています。
                  (村田)