石黒の思い出、そして今の思い
大橋英夫
今から、58年前、私はこの石黒の大野から離れました。小学校5年生の時です。6年生になる少し前の3月の春、部落の仲間AさんとBさんで凍み渡りをしました。向かった先は私の新天地が見える山の上です。大野の部落から墓場の下を通り抜け、花坂と柵口の分かれ道を下に行き、下の川を目指し、八百刈、漆沢の平坦な田んぼを抜け、川を渡り目の前の山にのぼったのです。
すると、視界が開けそこから火打ち、妙高、黒姫、飯縄の妙高連山が見えました。子供心にあの山の麓がこれからいくところだとぼんやり思いました。何の不安もありませんでした。何の心配もありませんでした。何も深く考えない子供でした。
今から思うと親は大変だっただろうとおもいます。同時に親の子を思う思いがようやく分かり、感謝の気持ちでいっぱいです。帰りは、山の斜面を、尻滑りで降りました。これも又、何の不安もなく難なく下まで降り、川を渡り家に帰りました。今思えば危険なことをしたもんだと思います。その頃は何も恐いものはありませんでした。世間や自然という現実の世界の恐さを知りませんでした。
その時から50年以上の年月が過ぎました。もう石黒には戻ることはないと思っていたのに大野に山荘を造って時々そこに来ては草刈りなどをしています。心のどこかに幼い頃の石黒の思い出が残っていて不思議な力が引っ張るのです。きっとそれは、私には、石黒にいやな思い出はないからだと思います。懐かしい楽しい思い出だけです。小さな子供時代だけですから。親に感謝してもしきれません。
私は、この5月13日で70歳、古希になります。今の私にできることは私の精神の土台を造ってくれた石黒へ恩返しをすることです。大それたことはできませんが、荒れ果てた道や田畑、木々を少しでも元に戻したいと思っています。
※写真−旧大島村旭の田麦から妙高連山を望む
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