ひとらごと   DATE-20230602

     

   ふるさとの響き(墓参りをして)

                       大橋末治(2023.5.31)

終戦(昭和20年)前後に生まれた者の家族は多かった。私の家族も例外ではなく10年前には後期高齢者の兄弟姉妹が10人生存していた。しかし、ここ数年で急減し、現在は3人となった。このような状況変化と自らの加齢も加勢し、ここ十数年来、何とか里帰りし、お墓参りとふる里石黒の空気を味わいたいものと思っていた。しかも可能でれば、新録の頃を望んでいた。運良くNPO法人 石黒邑広報紙「さわらび号」や「石黒の昔の暮らし」で「村長さんの家」の4月開店を知った。問い合わせると関係者の方からOKとの快諾を頂いた。早速、5月中旬、2泊3日でお世話になることになった。

私の出発地は愛知県で長野駅経由上越妙高駅とし、そこからレンターカーのお世話になることとした。計画すると、長野駅―上越妙高駅間の列車連絡が難儀なことを知った。JRは新幹線のみであった。在来JR線は新潟・長野県の各私鉄に経営移管され、両県の中間に位置する妙高高原駅で上越妙高駅と長野駅間をそれぞれ折り返し運転していた。現地で乗車券を独立に購入しなければならない等厄介な組織になっていた。集団就職等で人の交流が盛んであった頃の名古屋駅―新潟駅間を直行していた急行「赤倉号」が懐かしい。

出発前、最も心配していたのは慣れない道路の運転であった。しかし、新潟県内の道路は良く整備されており、その上、車にはナビゲーターがあり快適なドライブが出来た。車窓越しに見えた広大な田園風景は田園上越市を改めて知ることになった。また、途中で板山の不動地蔵遺跡の看板を見つけ、小学生時代の遠足を思い出した(よくぞここまで歩いたものと)。最後に嶺部落を経て掘割を出る(旧、刈羽郡/東頸城郡境)と正面に黒姫山と懐かしい石黒の全景が眼前に浮かび出て、しばし快い緊張感に浸った。

旧友・知人のご厚意の下、NPO法人 石黒邑「田中家」で夕食会をとることが出来た。「やあ! へさだっけねー」で始まった会食での話題は、過去の刈羽郡石黒村から現在の柏崎市高柳町石黒に至るまで、大げさに言えば、石黒の歴史に始まり近年の人口急減に伴う課題・個人の体験話など浅く広く多方面にわたった。石黒弁丸出しの忌憚のない会話の中身は私にとって、忘れがたい貴重なものとなって脳裏に刻まれている。田中家で提供頂いた料理(Sさんの料理)は、山菜料理が主体で、新鮮でかつ抜群の味、その上品数が多く参加者全員が舌づつみを打つと共に絶賛した。板張りの床は、キュッ、キュッと鳴き、台所からはトントンと包丁の刻み音が響いていた。快いこれらの雰囲気は「石黒の昔の暮らし」に心が誘われた一瞬でもあった。(屋外では、夜通し蛙の合唱が続いていた)。

ここで、特記しておきたいことは、かけがえのない先代石黒住民の方々の英知と勇気と努力の下に現在の石黒があること。そして、現在は大きな市政組織の中で石黒のこれからを懸命に模索し牽引されている限られた数人の老若男女の方々が頑張っておられることである。微力ながら石黒応援団の一員として支援させて頂きたいと思っている。

時間のある範囲で、旧石黒村内を散策した。先ずは、立派な道路に驚嘆、しかも大きな工事が進行中。私の生家近傍では、河川の流路も変更され、道路新設と相まって、まさに様変わりしていた。中には、別荘として使われている家もあった。道路も整備され生活環境が向上している現状では、大自然の恵みが十分に得られる石黒のこれからの一つの方向性とも感じた。

夕方、板畑部落迄ドライブした。大野部落までの道のり・風景は、何となく分っていたが、板畑部落へは小学生時以来(70数年前)であった。道路の舗装が無くなったら引き返すと決め出かけた。狭い道路となり対向車を気にしながら進んでいる内に板畑部落入口に到着。下車し徒歩でわずかな記憶をたどり分校を探した。直ぐに分かった。少し歩くと住民の方(Kさん)に出会い、私と同級生のYさんを紹介して頂いた。夕飯仕度時の多忙な時刻のため短時間であったが思いがけずYさん夫妻とも談笑することが出来大きな収穫となった。

70年ほど前は70軒程度の石黒村最大の部落 (現在は4軒とのこと) であった。そして、板畑部落の5年生以上の子供は本校に通っていた。70年ほど前の舗装もない4kmもの長く屈曲のある山道を想像し、よくぞ、通学したものと改めて当時の厳しい生活環境を思い直す機会となった。

石黒出発当日、Kさんのご厚意で、早朝の駆け足見学をさせて頂いた。通称”大林“近傍の大改革で進行中の道路工事現場、整然とした共同苗場、道路・橋・温室栽培などの新設で様変わりした落合部落(早朝作業中のSさんにも会え幸運)、広大で静寂感を誘うブナ林の里及び貴重な資料の宝庫石黒縁の館等である。短時間であったが、実に濃厚な内容で強烈な印象として脳裏に焼き付いている。同行した妻は、ブナ林の里が最も印象に残り、可能であれば時間をかけた再訪問を望んでいる。人の生活に潤いを与え豊かにするブナ林などをベースとした活力ある石黒の再現を夢に。

まとまりのない拙文となりましたが、現在ご活躍中の皆々様方の先見性のある計画と実行力に心から敬意を表したい。ご多忙の中、お付き合い頂いた皆々様方に心から御礼申し上げます。