屋号
                           田辺勇司
 昔は、「○○のしょ、明日は春の道普請だそうだいね。△△のしょ、明日のへんめぇ〔午前〕にエマル〔用水路〕払いだそうだいね。」などとコワリキが家々をまわって知らせて歩きました。
 屋号は過疎で家の数が五分の一ほどに減ってしまった現在でも屋号は使われています。また、同じ屋号が各集落にあるため集落の名前をつけて「上石黒の○○、居谷の○○」と呼ばないと分からない場合もあります。→集落図 
 複数の集落にあったは、「東」「西」「上」「横手」「向かい」などの屋号でした。これは、その集落の母屋〔本家〕の家の位置を中心として決められた屋号だと思われます。
 また、全体で最も多いのは先祖の名前を屋号にしたもので「○○右衛門」「○○左衛門」「○○郎」「○○助」などというものです。ずっと昔は、こうした屋号では代が代わると新しい当主の名前に屋号を改めるということもあったそうです。
 その他、「干し場」とか「稲場」「茶畑」など家を立てた場所を屋号としたものもありました。それに、先祖の家業が屋号となった「石屋」「紺屋」「桶屋」などもありました。
 昔は、山間部では姓名より屋号が日常使われていましたので姓名が使われるのは文書や手紙くらいなものでした。
 しかし、過疎化により昔から屋号がつかわれていた地方の村々が寂れて行くにつれて先祖から引き続いて来た屋号も姿を消してしまう運命にあるように思われます。なにか淋しい気持ちになります。
     〔居谷在住〕
  ※石黒の屋号→集落図参照