日本軍のミッドウェー攻略作戦によって起こった海空戦。
昭和17年6月上旬、日本軍は山本五十六連合艦隊司令長官指揮の下、アッツ島・キスカ島と共にミッドウェーを攻略し、出現するであろうアメリカ艦隊主力を撃滅する作戦で、総力を挙げて出撃した。
しかし、アメリカ軍はすでに日本海軍の暗号を解読し、日本の企図を知り、ハワイにいたニミッツ大将は空母3隻を急速出撃させ、ミッドウェーの北東海面で日本海軍を待ち伏せた。
一方、日本の主力空母4隻は、6月5日第1次攻撃隊でミッドウェーを空襲し、ついで第2次攻撃隊をミッドウェーに向かわせんとしていた時、初めてアメリカ空母の急襲に気づき、急遽、攻撃用の兵装を転換しょうとしたが、間に合わず敵空母の急降下爆撃機の奇襲を受けて同時に3隻が被弾し、残りの一隻も被弾して全滅した。
この海戦での敗北は、日本軍をそれまでの攻勢から守勢と変えた大きな節目となる戦いとなった。
しかし、この敗北を日本国内の新聞は上載記事の通り、あたかも勝利したかのように伝えていた。
参考文献-国史大事典
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