備 考
田畑の売買が禁止されていた江戸時代は、田畑の質入れ証文は、多く見られるが、このような奉公人を質物としたような質入れ証文は希なものと思われる。
勿論、商家などへの年季奉公は一般的に行われたものでありその実態は徒弟制と同様なものと見てよいであろう。また江戸時代、このような商家の丁稚奉公等を経験した者は子どもの半数を超えるとの統計も見られる。
しかし、それに該当しない年季奉公となると 、実際には、親が年貢金等を前借するための質物に子ども等をあてることになり人権的な問題が発生する。いわゆる質奉公であり、年季の給金を前金で受取り後1年はその利息のため奉公させるということになる。また、約束の返済期限内に金銭を返済できない場合は奉公期間が延びるというケースも少なくなかったであろう。
本古文書では奉公人(質物)は本人自身であると読み取れるが、そうだとすると農作業は誰が行うのであろうか。推察すれば。本書の質入主は田畑は既に質地として使い流れ地となっているのではなかろうか。実に、このような経過で全国各地で大地主が台頭してきたのである。
山中村も石黒村同様平地に恵まれず1戸当たりの耕作面積は極めて少ない村であった。
ちなみに、本文書の元銭2貫680文は金3分ほどに当たり、仮に1両を10万円として6万円ほどにあたるであろう。
専門的な知識に基づいたものではないが、以上のような感想をもった。
(文責-編集会 大橋寿一郎)
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