やさしかった小使いのおばあさん
田辺雄司
私が小学校4年から本校に通うようになりました頃、学校に小使室と呼ぶところがありそこにやさしいおばあさんが小使い〔用務員〕として勤めていました。朝早くから夕方遅くまで働いておられました。職員室の清掃もおばあさんの役目でいつもホウキやバケツ、雑巾をもって掃除をされていました。
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小使いさん 左上端 |
当時は、保健室などはなかったので腹が痛いときはおばあさんの所へ行くと竹の皮に包んだニセ熊という薬を出して少し包丁で切り取って飲ませてくれました。苦い薬でしたがしばらく小使い室で横になっていると治って教室に帰っていくのでした。私たちにとって小使いのおばあさんは母親のような方でした。
高等科になり学校に寄宿するようになりますと夜具布団は父親が背負って行ってくれましたが、野菜等は自分たちで背負っていき物置の小屋の中に保管しておきました。
炊事の準備は下級生がするのが慣習となっていました。夕方まで勉強があって夕飯の支度が遅くなったときは、上級生に怒られあたふたしていると「どら、おれが作るからジロ(囲炉裏)にあたっていろ」と言ってくれて味噌汁を作ったりタクアンを切ったりしてくれるのでした。本当に有り難いことでした。また、雨などで着物を汚すと小使室の囲炉裏の周りに広げて干してくれたものでした。
その頃は学校に寄宿する生徒が多かったので上級生は畳の部屋に寝るのですが下級生は廊下や先生の昇降口(職員玄関)などの板の間に布団を敷いて寝るのでした。廊下では、吹雪の夜などは寒いと思って朝起きると布団の上が戸の隙間から入った粉雪で白くなっていることも時々ありました。
そんな時は朝飯も遅くなりがちでしたが、朝飯の後始末が遅くなってしまったときなどは「勉強が始まるぞ、早く行け。後はおれがやっておくから。」と言ってくれました。お礼をいうと「みんな家から離れてくらして、みじょうげだ(可哀想)風邪をひかんようにせや」とやさしく言ってくれたことを忘れません。
土曜日に家に帰って小使いのおばあさんの話を家の者にすると月曜日の朝、白い餅と粉餅をおばあさんに届けるように言われ持っていくとおばあさんは「ええ、これがおれの仕事だすけ、そんなものはいただけねぇ」ととても遠慮しましたが受け取ってくれました。
朝早くから道踏み、先生方の昇降口の雪ほりをしてから地炉の火をつけ、職員室の掃除やお茶だしなど休む暇もなくコロコロと働き続ける小柄のおばあさんの姿が今でも目に浮かぶようです。
35年余り小使いを務められたとのことでしたが、この歳になると、当時、いろいろお世話になったことがほんとうに有り難いことだったと思います。小使室のおばあさん、本当にありがとうございました。

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